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卒業生インタビュー

スポーツ×学業。打ち込めるものがある人ほど向いている!【卒業生インタビューvol.10】

第48代目日本ウェルター級チャンピオンという輝かしい経歴を持つ、ロッキー・接骨院代表の加藤壮次郎さん。プロボクサーとしての活動を続けながら、日本健康医療専門学校(以下、ニッケン)に入学し、柔道整復師の国家資格を取得しました。学生・サラリーマン・経営者とプロボクサーという、常に二束の草鞋を履き続ける加藤さんは、現在ボクシングジムも経営し、柔道整復師として、トレーナーとして、次のステージへの夢を描いています。

アルバイトをしながらボクシングの道へ

Q:元日本チャンプである加藤さん。そのヒストリーを教えてください。

私は生まれも育ちも牛久です。幼少の頃から、柔道をはじめさまざまなスポーツをやってきました。私の母はチリ出身なのですが、当時はハーフという存在が珍しかったこともあり、小さい頃は周りから浮いてしまうことも。でも、反骨精神ではないですが、スポーツに打ち込むことで心身とも強くなっていきました。

ボクシングを始めたのは、高校1年のときです。兄が好きだったことがきっかけで、シルヴェスター・スタローンの映画『ロッキー』に影響を受けて。だから当院の名前も「ロッキー」なんです(笑)。

私が高校を卒業する頃はバブルがはじけた時代でもあり、当時「ただ大学に行っても将来の補償はない」「生涯雇用が無くなったいま、就職してもリスクがあるぞ」といった風潮がありました。そこで父に、「だったら俺はボクシングをやるよ」って言ったんですね。すると父は「ボクシングなんかやってどうするんだ!」と大反対。父は厳しい人ですし、父の「進学してほしい。何か将来に役立つような技術を身に付けてほしい」という思いは感じていました。でも私はボクシングを辞める気はなく、のらりくらりと続けていました(笑)。

いろんなアルバイトをしましたね。新宿歌舞伎町にある喫茶店の厨房で働いたり、ボクシングジムの先輩の紹介でビルの窓拭きをしたり。窓拭きの仕事をしていたときは、先輩の独立、そこで起こってしまった大事故、同業者急増による売り上げダウンといった事業の難しさを経験するなど、リアルで濃い多くの体験をしました。いま思えば独立への興味やその厳しさを学んだ、自分にとって重要な時代だったのかもしれません。

私が所属していた共栄ボクシングジムには関連する接骨院があったことから、次第に接骨院の仕事にも興味を持つようになりました。少年時代は学校の勉強から遠ざかっていた私ですが、ちゃんとした資格を取りたいという気持ちがあって。ちょうどボクシングで敗戦してモチベーションが下がっていたこともあり、父に「もうボクシングは辞めるから、専門学校に行く学費を出してくれ」と頼んだのです。ちょうど27、8歳くらいでしょうか、体力の衰えを感じ始める年齢でもあり、「ボクシングは引退しようかな」という気持ちも少しよぎっていたんですね。でも結局は、ボクシングも続けちゃいましたけど(笑)。

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ポジティブな発想の転換で、相乗効果を上げる

Q:ボクシングと学業を両立させることは、大変ではありませんでしたか?

協栄接骨院の先生の勧めもあり、ニッケンに入学しました。父は勉強が苦手な私のことを心配しながらも、「しっかりやれよ」と応援してくれましたね。

小・中・高の勉強は嫌いだった自分ですが、もともと身体のことを勉強するのは好きだったし、学校は楽しかったですね。選手としてふだんから身体のことを気にしているので、柔道整復師になるための勉強は、自分にとってとっつきやすかったんです。プロ選手たるもの、自分の身体は自分でメンテナンスしなければならない。だからトレーナー側の知識を学ぶことはちょうどよかったんです。

ですが最初は、勉強とボクシングをなかなか両立できませんでした。試験勉強もあまりできておらず、成績も悪くて、むしろ落ちこぼれ。すると当時の先生が、「おまえ何やってんだよ。もうボクシングはスパッと辞めて、勉強に専念しろよ」と。「やるんだろ?だったらやれよ。その代わり人の倍はやらなきゃダメだ。空いた時間はあるはずだ。電車での移動中に参考書を読めばいいじゃん」って、カツを入れてくださったんです。そこからですね。時間のムダをそぎ落とし、ボクシングの練習と、空いた時間に勉強をするといった密度の濃い日々が続きました。はまり込んでみると、どんどん勉強はおもしろくなっていきましたね。自分の身体を、より客観的に見られるようにもなりました。

勉強とボクシング。次第にどちらも万全で臨める体制が整って、成績が持ち直したのはもちろん、ボクシングの方では"無敗"の外国人選手にも勝っちゃった(笑)。3年生のときはタイトルマッチが実現するかもしれないという状況で、卒業旅行にも行けないほど選手として充実した日々を送ることができました。

Q:うまく両立できた、秘訣はなんでしょう?

なにも「両立させることは大変!スゴイ!」ってことではないんです。どちらかに専念しなければならないと考える人は、やり方がわかっていないというか、そう思い込んでいるだけじゃないかな。そもそも学校で学ぶことはボクシングに必要なことなんです。だから私は、勉強が競技のプラスになるようポジティブに考えた。「いま、どこの部位を使い、何の神経を使っているな」ってことが人より深く理解できるから、ラッキー!と。「ふたつのことをやる」ではなく「つながっていることをやるから効率がいい」という、発想の転換ですね。例えば私は、ずっと自分でバンテージを巻いていたので、学校の授業で包帯を巻くのなんて余裕でした。そして、巻く目的やその効果を自身の身体で確かめながら巻けるようになったことは、競技においてとてもプラスになりました。

中途半端じゃ何をやってもダメですが、何かをやりながらでも、集中しさえすればできるんです。もし本気で打ち込んでいるものがある人は、むしろそういう人の方が成長が早いんじゃないでしょうか。より理解が深まれば、楽しさも加速するでしょう。

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Q:そのほか、学生生活の思い出についても聞かせてください。

勉強以外のところでは、先生や仲間たちが、みんなフレンドリーな関係だったのがいい思い出ですね。試験の後にはみんなで飲みに行ってどんちゃん騒ぎをしたり。あと、恒例の柔道大会で異様に盛り上がったことも忘れられません。スポーツが大好きなヤツらが真剣に楽しみ尽くそうという、まさにお祭りでしたね。高校を卒業して進学した学生が多いので私は年長者の部類になりますが、学校ではそういった年齢差は関係なく、ひたすら学生生活を満喫しました。「みんな一緒に楽しみながらがんばろう!」といった空気が、ニッケンの魅力ですよね。

プロボクサーって、プロだけど職業として扱われにくいというか、例えば会社員と比べると社会的に信用されにくい存在です。でも、国家資格を持っていてその仕事と両立してやっているといえば、周りの見方がガラリと変わる。だからこそ、「絶対、資格を取得してやる」という強い思いがありました。先生は、真っすぐな言葉で叱咤激励してくださいました。そもそも専門学校は、義務教育じゃないんだから、できないのは自分の責任だぞって話じゃないですか。いま振り返ると、先生方は私を一人の大人として扱ってくれ、愛情をもって接してくださっていたなと思います。おかげで柔道整復師の資格も取得することができました。ニッケンがあったから、いまの自分があると思っています。

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日本チャンピオンと独立開業。夢はその先へ

Q:無事、資格取得とご卒業。次はいよいよタイトルマッチですね。

卒業後は、柔道整復師として働きながら、ボクシングを続けていました。約1年間接骨院で修業したあと、ちょうど子どもが生まれるということもあって社会保険完備である介護保険サービスの会社に就職。そうして2010年32歳のとき、ついにタイトルマッチで第48代日本ウェルター級チャンピオンを獲得することができました。

その後ですね...。
母の母国であるチリで大事故があり、ファイトマネーから義援金を寄付したのですが、それがテレビのニュースになったんです。ニッケン入学前に、父に「ボクシングを辞めるから学費を出して」と言った手前、ボクシングを続けているのをずっと内緒にしていたのがバレちゃって(笑)。テレビを観た親戚やご近所さんから「壮次郎テレビに出てる!」って話を聞いた父が、驚いて私の仕事中に電話してきてね、あのときは本当に慌てましたね(笑)。

Q:祝、チャンプ!次は独立開業への道ですね。

私には柔道整復師として独立開業したいという夢があったため、そのためには医療系の知識と経験を深めなければならないと考え、病院の脳神経外科に転職しました。

でも一方で、「ボクシングで世界に挑戦したい」という思いも強くありました。それまで妻にはお金のことで苦労をかけっぱなしだったし、子どもの成長とともに、更にお金が必要になる。では「世界を獲って一発逆転だ!」という狙いもちょっとありました(笑)。ですが、東洋太平洋タイトルに挑もうとしたらノロウイルスに罹ってしまい、その後の試合で敗戦してしまったりと、なかなか思うようにいかない。「このままではダメだ、もう少しボクシングに専念したい」と考えるようになりました。

そして、「自分の時間を確保するためにも独立をしよう」と思い至ったのです。35歳くらいの頃でした。ところが独立してみると、自分の時間を作るどころか仕事がめちゃくちゃ忙しくて、ボクシングどころではなくなっちゃった!というオチです。やっぱり、独立を舐めちゃダメだよ(笑)。

とはいえ、苦労に見合うだけの十分なやりがいがありました。「ボクシング1本に専念できなかった」という悔いがまったくないと言えばウソになりますが、子どもたちも順調に成長し、いまは初孫も生まれて、家族とともに幸せな暮らしを手に入れた。やりたいことを達成できた満足感があります。

Q:ロッキー院長として。これからの夢について教えてください。

現在は接骨院のすぐ近くにボクシングジムを設け、行き来しながら治療とトレーナーとをやっています。もともと「柔道整復術」のルーツに柔道があるように、スポーツの隣に治療家がいることはごく自然なこと。ジムに通う方にとっては、トレーナーが専門知識を持っていて、日々のメンテナンスはもちろんケガをしたら看てもらえるというのは安心ですよね。必要とされるところに必要なものを用意できれば、人は集まってきてくれます。これからの私の夢は、接骨院併設のジムを増やしていくこと。誰もが安心して気軽にジム通いができる場所を、もっともっと作っていきたいですね。

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打ち込めるものがある。そんな人こそ向いている!

Q:現在、「真剣にスポーツに打ち込んでいると同時に、将来の不安も抱えている」。そんな若い方たちにメッセージをお願いします。

そんな人ほど、柔道整復師や鍼灸師の国家資格を取った方がいいよ!資格は一生の財産ですから。

例えばプロボクサーをやっていても、それはなんの職歴にもならないんです。でも私のように、柔道整復師である一方でボクシングをやるといった"二足の草鞋を履く"ことは、それが両方にとってプラスになるだけでなく、圧倒的に社会的信用度が上がります。資格はプロ現役中、またはプロを目指しながらでも取ろうと思えば取れますし、あとは、自分の気合い次第。ただし、気合いを入れなきゃダメだけどね。

スポーツに限らず、どんな仕事でも同じです。例えば「ミュージシャンとして食べていきたい!」っていう人も、そう。身体のことがわかる資格を持っていれば、自分の発声トレーニングに活かせるし、将来的にはボイストレーナーとして食べていけるかもしれない。さらに、周りからは「しっかりしたヤツだな」と、信頼してもらえる。圧倒的な強みができるわけです。

もちろんほかの資格でもいいのですが、柔道整復師であれば「独立ができる」という強みが加わります。私が「ジム+接骨院」開設を叶えたようにね。

Q:最後に、加藤さんが「一緒に働きたい」と思う人は、どんな人ですか?

接骨院に限らず仕事なら何でもそうだと思いますが、前向きで明るい性格の人がいいですね。私もニッケン時代、ボクシングと学生のふたつをやることをポジティブに捉えることで、結果的に両方とも良い方向に導くことができました。そういうポジティブさが大切だと思います。ネガティブ思考は、やだ(笑)。 そして、向上心があって謙虚に勉強をする姿勢を持った人ですかね。

当院にいるトレーナーも元格闘家なのですが、プロとして活躍する傍ら、ヨガやボクササイズといったさまざまなインストラクターの資格を取得して、現在はジム会員や患者さまたちのあらゆるニーズに応えています。今いる場所に満足したら、廃れるだけ。ポジティブに、ときには軌道修正も加えつつ、自分に言い訳をしないで前に進む。自分も常にそうありたいと思っています。

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<卒業生プロフィール>

加藤 壮次郎(かとう そうじろう)さん/ロッキー・接骨院 代表

日本健康医療専門学校 柔道整復学科 2009年卒業

【国家資格】 柔道整復師(2009年取得)
第48代目日本ウェルター級チャンピオン(2010年)
ロッキー・接骨院、ロッキー・ボックススタジオ 代表